足元の春を見つけよう ~つくしと出会う小さな時間~

四季折々の花や植物

春、子どもと一緒にお散歩に出てみませんか?

風はちょっと冷たいけれど、やわらかな太陽の光が注いでいる春の朝。
「つくし」を探しに行こうと家を出ました。いつもの場所に。
バスの走る道路の横の歩道。そのわきの石の元に毎年つくしが出る秘密の場所を知っているのです。
あった!  いつもの場所に小さなつくしが1本待っていてくれました。
「今年も出会えたね!」
ドキドキしながら幸せな気分でいっぱいになりました。

つくしはスギナの子?

つくしの周りに緑色のスギナがつくしを守るように茂っています。
「つくし誰の子 スギナの子♪」という歌があったような気がしますが、本当につくしはスギナの子なのでしょうか?
ちょっと調べてみました。
〇つくしは成長してもスギナにならない。
〇緑色をしていて光合成を担当する茎が「スギナ」で、胞子を生産して繁殖を担当する茎を「つくし」と呼んでいる。
〇ツクシはスギナの「胞子茎」。繁殖のために胞子を飛ばす
 スギナは「栄養茎」。光合成して栄養分を調達する

地下茎でつながれていて、役割分担をしながら同じ場所でしっかりと根を張っているのですね。
残念ながら、つくしはスギナの子ではなかったようです。

つくしと源氏物語                          

つくしと出会うことがどうしてこんなにドキドキするような気分にさせてくれるのでしょうか?
そこで、つくしが文学の中に出てくるかもしれない、と思って調べてみました。

すると、何と「源氏物語48帖 早蕨」につくしが登場することがわかりました。
「年改まりては何ごとかおはしますらむ。御祈りは、たゆみなく仕うまつりはべり。今は、一所の御ことをなむ、安からず念じきこえさする」 など聞こえて、蕨、つくづくし、をかしき籠に入れて、「 これは、童べの供養じてはべる初穂なり」とて、たてまつれり。

つくしのことを当時は地面から突き出ていることから「突く突くし」と呼んだようです。
ここでは、つくしは風情のある籠に入れられて、阿闍梨(僧)が宇治の姫君(大君・中君)に対し、「これは、子どもたちが(神仏に)供養して(摘んで)きた初穂(今年初めての収穫物)でございます」と差し上げた、新しい年の神聖な食べ物、または心のこもった思いを伝える貴重な贈り物として描かれています。

そのほか、いくつかの短歌や俳句に詠まれていましたが、つくしを見てときめく、といった内容のものは見当たりませんでした。

つくしにこめられた愛

幼かったころ祖母が一緒につんできたつくしをおひたしにしてくれました。そのほろ苦い味が春の思い出として懐かしく残っています。
つくしのおひたしには祖母のたった一人の孫への深い愛がつまっていたのでしょう。
それが私の気持ちを揺さぶるのかもしれません。

つくしには、おひたしのほか、てんぷら・卵とじ・つくだ煮・油いためなどいろいろな調理法があります。
でも都会でつくしの生えている公園や川の土手などは愛犬家たちのお気に入りの場所。残念ながら私はつくしをつんで食べるのはちょっと遠慮します。

出会った春の草花

何年か前につくしを見つけた公園に行ってみましたが、きれいに整地されていてスギナも生えていませんでした。いくつかの空き地や公園を巡ってみましたが、どこにもつくしは見つけられませんでした。

でも、足元に目を向けると春の使者たちが、可愛く呼びかけてくれました。

なずな(ペンペングサ) アブラナ科ナズナ属

カラスノエンドウ(ヤハズエンドウ)マメ科ソラマメ属

タンポポ (キク科タンポポ属)

スミレ (スミレ科スミレ属)

スミレの花も春を告げてくれる特別に懐かしい花です。同じ場所にひっそりと紫の光を見つけると胸の奥がずきッと痛いほど嬉しくなります。

春の思い出を作ろう

春の花や植物は、幼いころの経験やときめきを、季節が巡ってくるたびに思い出させてくれるような気がします。
春は眠っていた草も花も、人の心も目覚めるとき。
春のやわらかい風や優しい太陽の光。
足元に花を見つけた時の弾けるような嬉しさ。

そのとき、一緒に喜んで花の名前を教えてくれた父や母の優しい声。
つないでくれた父や母の手のぬくもり。
公園のベンチで父や母と一緒に食べたおにぎり。
ひょっとしたら、それは保育者や祖父母であることも・・・。

それらの思い出が、子どもが大きくなったとき、
春の花や植物を見て幸せな気分になることにつながるかもしれません。

春の日差しがいっぱいに注いでいる日は、子どもを連れてお散歩に出かけてみませんか?

(中舘 慈子)

#足元の春 #春の花 #つくし 

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