母の日が近づくと、花屋さんの店頭はカーネーション一色になります。
母の日と言えば、カーネーション。
どうしてそのようになったのかを調べてみました。
舞台は1860年代のアメリカ、ウエストヴァージニア州。
南北戦争の最中で、北軍も南軍も多くのけが人、病人が出ていました。
そのような状況の中、アン・ジャービスという一人の女性がいました。彼女は「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)というボランティア団体を立ち上げ、南北両軍のけが人や病人に手を差し伸べて救ったそうです。
終戦後も医療補助活動、平和活動、子どもの教育活動などを行い、大きな業績を残しました。
1905年の5月9日、アン・ジャービスはアンナ・ジャービスという娘を残し、亡くなりました。
娘のアンナ・ジャービスは亡くなった母の偉大な活動を後世に残せるよう、母が教育活動を行っていた教会で、母が大好きだった白いカーネーションを亡き母に手向け、集いを開きました。この集いは、アメリカ全土から注目され、多くの人々が共感しました。
1915年、アメリカで5月の第2日曜日を「母の日」とする法律が施行され、アン・ジャービスが結成した団体名を元に母の日(Mother’s Day)が生まれたということです。
このできごとが、カーネーションが「母の日」のシンボルとなり、母親にカーネーションをプレゼントする文化の由来になったということです。
私が小学生だった1950年代、学校で造花のカーネーションをもらって胸につけた記憶があります。母親のいる人は赤、いない人は白で、子ども心に白カーネーションをつける人はかわいそうだなあ・・・と思いました。今では考えられない区別ですね。
幼いきょうだいが、小さなお財布からお小遣いを出し合って、小さなカーネーションを買っている姿を見ました。胸がジーンとしました。
「母の日」は母に思いを伝える日であるとともに、母親になったことを自覚し、感謝する日でもあるのではないかと「母の日」が訪れるたびに思います。
(中舘慈子)
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